Kyoの黒いひとりごと

毒父と認知症母と精神疾患の義母を持つアラフィフの黒いブログ

3.両親の生い立ち

両親の生い立ちは、子供の頃話に聞いていただけしか情報がないが、終戦前後の世代なので昭和後期生まれの私達とは比べものにならないような苦労や苦悩があったのだろうとは、推測している。

 

 

父は終戦直前、疎開先の満洲生まれ。

兄弟が正確に何人だったかは、私が生まれる前に亡くなっていたり、交流がなかったりで会ったこともない伯父伯母が何人かいるはずで、とにかく8人とか10人兄弟の末っ子。

私の祖母にあたる父の母親は当然、高齢出産。

引揚船で母乳が出ずに、海に投げ捨てようかと思ったらしいが、居合わせた若い女性に「もらい乳」して生き延びた、と聞いた。

祖父母は、学歴と「先生」に執着があったようで、兄弟が多いのにほとんどが大卒。医者か教師になっていた。父も大学に入ったものの、学生運動に参加して退学したと聞いた。

 

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母は戦後生まれ。空襲で焼け野原になった街に建てられたバラックで育った。

祖父は公務員、祖母は商売をしていた。

今でいう「ネグレクト」だったのか、祖父母が数日家を空けるのはザラで、長子である母は幼少時から家事育児、アルバイトをして弟妹の面倒を見ていた。

母は、中卒で就職をした。

 

私は両親の学歴や職歴など、どうでもよく思っていたが、父は何かにつけて母に

「お前はそんなこともわかんねーのか」

とバカにしていた。

子供心に

「自分で(母を)選んだくせに」

と思っていた…