Kyoの黒いひとりごと

〜毒親と私〜

母の歴史③

父の話によると、母との結婚に反対した父の両親(特に祖父)は、前日まで結婚式に出席しないと言っていたそう。(祖母の説得で出席したらしい)

年月が過ぎ、色々あった後大家族の末っ子だった父が祖母を引き取り、介護することになったのだが、母には随分感謝していたようだった。
認知症になった祖母は、父のことを先に忘れ、母に頼りきりだった。

だからなおさら、3人の子どもたちにも会えず苦労してきたのに、父の母に対する愛情が微塵も感じられず、早く離婚すればよいのに、と思い続けていた。
何なら、最近まで思っていた。認知症の母に「言うこと聞かない」「手に負えない」「離婚だ、出て行け」と言う父に介護してもらう意味は?と。今まで手に負えなかった人に言われたくない!と思っていた。

母がいつだか私に
「あんたたちはお父さんのこと悪く言うけど、夫婦にしかわからないこともあるんだよ。」と言った。
その時は、そんなのDVを受けている人が言う
「普段は優しい人なの」
と同じではないか。と思ったけど、本当親子だって別の人間、別の人生。
本当のところはわからないんだよね。

両親の結婚までのプロセスだって、両親からの話しか聞けていないから、真実は不明。
不倫の上の略奪婚かもしれないし、母が苦労したのだって、証拠もない。
ただひとつ言えるのは、この結婚を両親が選んで、50年以上続いているということ。
それだけのこと。
実際は母が離婚したくても、できなかったのかもしれないし、本当に離婚なんかしたくもなかったのかもしれない。今は認知症もあるし自分で選択はできなくなっているけど、今日までの人生は自分で選び取ってきたもの。

私達姉弟に対する、精神的虐待(暴力はなかったので、そう呼ぶことにしている)は
両親同罪なんだ、と今は思う。

これから両親がどうなるかわからないけど、正面から見つめることもできないし、今後も手を差し伸べる気力が出そうにない。

子どもに愛情を注げない親を理解する日は、来ない気がする。